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2019年08月22日

アクセル・ヴィツェル「レアルにもユベントスにも行く可能性はあった」

Borussia Dortmund
ボルシア・ドルトムント
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 アクセル・ヴィツェルはレアル・マドリードにも、ユベントス・トリノにも、「たぶんパリにもマンチェスター」にも移籍する可能性がありがなら、それでもこれまでプレーしてきたクラブは、ゼニト・サンクトペテルブルクであり、天津権健であり、そしてボルシア・ドルトムントだった。一体なぜなのだろうか?

 「レアル・マドリードにも、移籍することはできただろうね」とかたっtあ同選手は「それ以外にもオファーはあったよ。たぶんパリや、マンチェスターにも行く可能性はあっただろうね」と、DAZNやspoxとのインタビューにてコメント。成立しなかった理由については、それぞれ「運命のいたずら」「タイミングが合わなかった」そして「良い決断ではなかった」との言葉で説明している。

 例えばレアル・マドリードについては、当時ベンフィカで活躍をみせていた23才に対して、モウリーニョ監督は関心を示していたものの「レアルがモドリッチを獲得したからね、だからレアルへの移籍は、僕にとってそれ以上の意味をなさなかったんだよ」とのこと。間も無くしてゼニト・サンクトペテルブルクからの話があり、「とてもうまくいった」ことから移籍を決断した。「僕はオープンな性格で、ロシアでも特に不安はなかったよ」

 次の可能性は、2016年に訪れた。ゼニトで4年間プレーしたヴィツェルは、すでにユベントス移籍に向けてメディカルチェックまでも済ませていたという。「あとは契約書にサインを交わすだけだったんだ。その日は1日中オフィスで待っていたよ。でも最終的には、ゼニトに戻るように言われたのさ」そしてその半年後には、中国の天津権健への移籍を決断することになる。

 その中国では公式戦47試合に出場、6得点4アシストをマークし、2018年のロシア・ワールドカップを期にに、再び欧州へと戻ってくる意思を固めた。「そこで僕は、パリか、マンチェスターに行く可能性もあっただろうけど、あまり待ちたくなかった」とヴィツェル。

 「まずツォルクSDが、それからファヴレ監督から連絡をもらい、ドルトムントはトップクラブの1つで、僕自身トップクラブに移籍する最後のチャンスだと思っていたから。これは正しい決断だったと思うよ。天津権健との交渉は一筋縄ではいかなかったけどね、でも最終的にはうまくいった」と言葉を続けた。

 そしてそのドルトムントでは、加入初年度からチームの頭脳として、リーグ戦2位でのフィニッシュへと貢献。現在については「もちろん優勝を果たせなかったことは残念だ。それでも僕たちは、ポジティブな時間を過ごせたと振り返ることができる。僕自身、これほど多くの才能溢れる若手選手のなかでプレーすることは初めての経験だよ」との印象を述べている。

 「僕はドルトムントと4年契約を結んでいるし、その4年、それ以上にここに止まりたいと思う。これまで多くを旅してきた僕にとっても家族にとっても、留まれることは良いことだと思うんだ。ドルトムントは決して最高に美しい街ではないかもしれないけど、僕たちにとっては完璧な場所。ベルギーはまでは車で2時間の距離でもあるしね、中国からだと飛行機で11時間もかかったんだ」
 


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