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2021年09月28日

ピシュチェク「ゲッツェのバイエルン移籍が最大のショックだった」

Borussia Dortmund
ボルシア・ドルトムント
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 ウカシュ・ピシュチェクは現役時代、ほとんどインタビューへと応じることはなかった。だが今回kickerとのインタビューにおいて、長年ボルシア・ドルトムントで活躍をみせた元ポーランド代表が、改めて自身のキャリアについて振り返っている。
 
 確かにピシュチェクはいまもなお、母国ポーランドの4部LKSゴツァウコビツェ=ズドルイに所属する選手だ。だが今回のkickerとのインタビューで明かしたように、「今の僕は、楽しむためにプレーをしているんだ。キャリアは、ドルトムントで終えたよ」とコメント。そのドルトムントでの11年間、ピシュチェクはファンたちから愛される存在として、11年間にわたって右サイドバックとしてプレー、世界を代表するDFの1人にまで飛躍を果たし、2度のリーグ優勝と1度のCL決勝進出も果たした。

 だがもしもピシュチェクがヘルタ・ベルリン時代に、フォワードから右サイドバックへとコンバートしていなければ、このようなキャリアを過ごすことはできなかったかもしれない。実はピシュチェクがブンデス挑戦のチャンスを手にしたのは、2005年のU19欧州選手権において得点王に輝くなど、センターフォワードとしての活躍があって実現したものだったのだ。「もしもストライカーに固執していたら、僕は10年早く母国に戻ることになっていたかもしれない。まさに大正解の決断だったよ」

 その転機となったのは、とあるテストマッチでのこと。試合前のポジション表には「右サイドバックでプレーするように指示されていたんだ。そこで監督のところにいって、何かの間違いでは?と質問をしたんだよ」と、当時について振り返ったピシュチェク。だがディフェンダー陣に離脱者が相次いだこともあり、数ヶ月に渡ってサイドバックとしてプレーすることになるのだが、それでも「シーズン後には食事をする機会があって、そこで監督に来季からはぜひFWでね、と伝えていた」ことと明かしている。

 だが運命はいたずらだ。それから移籍したボルシア・ドルトムントにて、ユルゲン・クロップ監督と出会ったピシュチェクは、その右サイドバックとして飛躍を遂げることとなり、最終的にはブンデスリーガトップのサイドバックとして開花。ブンデス2連覇、国内二冠達成、CL決勝進出など、「素晴らしいチームとともに、僕は本当に素晴らしい時間を過ごすことができた。そこで多くの友人もできたよ」と回顧。

 しかしながらそのチャンピオンズリーグ決勝で敗戦を喫した直後に、マリオ・ゲッツェがクラブを後にする決断を下したことが、最大の転機となってしまったとピシュチェクは考えているという。「マリオがバイエルンへと移籍してしまったんだけど、あれはチームにとって最大の打撃だったと思う。つまり僕たちはこのまま、ずっと一緒にプレーすることはないんだという、現実を突きつけられることになったんだ」

 特にまだ若かったゲッツェについては、「あれだけのプレーをこのまま続けていけば、いったいどこまでいってしまうのかと思っていただけに、本当にショックだったよ」と、言葉を続けた。
 


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