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2021年02月21日

クロップが最も影響を受けた、隠れた名将ヴォルフガング・フランク

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 ヴォルフガング・フランクという指導者の名前をご存知だろうか。ブンデス2部236試合、3部23試合で指揮をとるなど、最終的にブンデスリーガでは監督を務めることはなかった人物だが、それでもドイツサッカーの近代化を推進し、そしてFIFA最優秀監督賞を受賞したユルゲン・クロップ氏が「最も影響を受けた人物」と名を挙げるほどの「偉大な指導者」である。

 「ヴォルフガング・フランクは、90年代にドイツで、スペースという観点からサッカーを考え始めていった、数少ないコーチの1人だ」と語るのは、同世代のフォルカー・フィンケ氏だ。「それまでのプレーでは、対戦相手、点取屋、プレイメイカー、守備的リーダーなど、マンマークが中心になっていた。」

 この点におけるサッカーの近代化は、ドイツでは比較的遅い時期からスタートしており、「リベロのないチームだって?それはながいあいだ想像することさえできなかったよ。特にイタリアやスペインで実践されていたような、地中海サッカーはその点では、我々よりも数年先を行っていたと思うね」と説明。だが「フランクは、80年代にACミランを近代化へと導いた、アリゴ・サッキ氏のアイデアを絶賛していた」という。

 そういった近代化の波が、むしろドイツではマインツのような、小さなクラブで派生していき、そしてSSVウルムというまた小さなクラブにて、ラルフ・ラングニック監督が実践させていったことは、同じような道をSCフライブルクにて歩んだフィンケ氏からみて、決して偶然による産物ではなかった。「高額な選手を獲得できない以上、別のやり方をみつけていかなくてはいけないからね」

 1995年当時、マインツでマネージャーを務めていたクリスチャン・ハイデル氏によれば、フランク監督は最下位に喘ぐ中で「彼は私のところに来て、冬のトレーニングキャンプの前に、ドイツではあまり知られていない4バックへの切り替えを希望」していたという。加えて悪天候の影響もあってキャンプは3週間にまで延期されることなり、そこではマインツでこれまで経験したことのないほどの密度の濃さをもって、戦術面での改善が徹底的に行われていった。その結果、ハイデル氏も懐疑的だった4バックが功を奏し、11位でフィニッシュ。翌年も4位と1部昇格まであと少しというところまで迫っている。

 だが「彼が最終的にブンデスリーガで指揮を取れなかった理由、それは時にあまりに冷静さを欠いたところがあった」とハイデル氏が振り返ったように、監督としてのキャリア全てで振り返ってみても、1クラブ平均の滞在期間は1年にも満たないほど目まぐるしいスピードで展開。97年にオーストリア・ウィーンへと渡った翌年には、再びマインツへ復帰するも2年で終焉。長期契約があったにも関わらず、デュイスブルクへの移籍を志願しており、「そうくると私も思っていたから、行きたいなら行くがいいと言い放ったよ」と、その後にも親交のあったハイデル氏は振り返った。

 最終的にそれ以降、彼がマインツに再び戻ってくることはなかったのだが、彼の後を受けた教え子、ユルゲン・クロップが後任を務めるとブンデスリーガ1部昇格を達成。以降7年間に渡りクラブを率いてくことになる。現役時代では2部91試合に出場した経験をもつクロップ氏は、改めてフランク監督について「私はプロとして、彼から最も多くのことを学んだんだ」と回顧。マインツのような小さなクラブが、その戦術により格上を下していったことを「驚くべきことだ」と評した。

 彼以外にもサンドロ・シュヴァルツ、トルステン・リーベルクネヒト、ユルゲン・クラムニー、リュディガー・レーム、クリスチャン・ホック、ウーヴェ・シュテーファー、そしてペーター・ノイシュテッターら教え子たちが、監督の道へと歩むなど、その精神は脈々と次世代に受け継がれ、さらに二人の息子、セバスチャンとベンヤミンはリヴァプールなどプレミアリーグのクラブでスカウトを務め、現在はボルシア・ドルトムントに従事。

 一方でフランク氏は2012年にオイペンで監督としてのキャリアを終えると、翌年の9月に脳腫瘍で他界。もしも生きていれば本日、70才の誕生日を迎えるはずだった。享年62。

ユルゲン・クロップ監督が語る、ヴォルフガング・フランク監督

…人物像
「ヴォルフガング・フランクは人間性という点でも、サッカー選手としても、私を形成していってくれた人物。本当に良い人だった。彼は私が唯一口論をした、いや大声で言い争い明日の我が身もわからなくなるくらいやってしまった監督で、でも普通に彼は私を受け入れ、異なる意見を持っていても、それでも1つになれるということを示してくれた。偉大な指導者であり、偉大な人物であり、サッカー界にとって本当にとても、大きな損失にもなってしまったと思う。彼がまだ生きていたなら、もっと多くのことを、我々に伝えてくれていたことだろう。

…フランク監督の取り組む姿勢
「仕事への熱意という点で、彼は確かに私に影響を与えている。朝9時に一番乗り練習場へきて、夜の10時に帰途についていた。たくさんビデオをみている、ということくらいはわかったが、最初は彼がどういうことをしているのか皆目検討もつかなかったよ。彼はチームとして乗り越えていくということ、チームに明確な線引きをすること、そして家族的な感覚というものを伝えてくれたんだ。

…フランク監督がマインツにもたらした影響
「自信だ。マインツの資金面やインフラでは、2部で戦うことは厳しいと分かっていた。だがフランクはそれらを変えていくためのアイデアを、早い段階からもっていたんだ。スタジアムに投資しなくてはいけないし、練習場にも投資しなくてはいけない。今だけではなく、未来のことも見えるよう、クラブをサポートしていってくれたよ。彼がもつそのアイデアは、共に未来をもっとポジティブな形に変えていこうと感じさせてくれるものだった。彼に先見の明があったことは、疑いのようのない事実だよ」

…戦術面における変更点
「一言で言うなら全て。長く答えるならば、我々選手にとって、試合に対するアプローチといったところか。実際にフランク監督はマインツで一新するための考えをもって就任していた。つまりマンツーマン・ディフェンスからゾーン・ディフェンスへと変更。今では当たり前のように聞こえるかもしれないが、当時は大きな一歩だったよ。それでも本来ならば周囲を納得させるために多くの努力が求められたことだろうが、幸いにも我々にはもう後がなかったのでね。個人の力に依存しないというアプローチは比較的ポジティブに受け入れられたんだ。そこで4−4−2システムへと変更し、監督は私をその4バックの一角として組み込んでくれ、それに伴い取り組む練習の形も変更していくことになった。」

…フランク監督の下での練習
「ボールを使った練習からは完全に遠ざかっていたね。最初のうちはもっぱら戦術的な動きで走っていたよ。それから異なる守備的状況に取り組み、チームとしての距離感を学んでいった。特定のグループとの正しい距離を練習で鍛えていったよ。こんなにもピッチ上でフォーメーションというものが大きな影響を及ぼすのかと、私たちに気づかせてくれたんだ。例えば相手にスペースを与え、その中で自分たちがボールを奪う機会を模索していく。あの時は皆が気づかされていくという、本当にとても刺激的な時間を過ごすことができていた」
 


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